介護難民 -4-

 一時は途方にくれた母の転院先がようやく決まりました。

■移動の方法も分からない

 転院先は決まりましたが、母は既に寝返りにも補助が必要なほど。

 入院の際は救急車をお願いすることもできますので、病院への移動自体で頭を悩ませることはありませんが、病院から病院への移動に、まさか救急車を呼ぶわけにもいきません。情報がないとこんな程度のことでもたちまち立ち往生です。

 ここで再び、何度も登場しているケアマネさんに電話で相談、車椅子やストレッチャー(救急車にも備え付けてある移動式の簡易ベッド)を積んで迎えに来てくれるタクシーの連絡先を教えて頂きました。既に、入院している母の介護とは直接かかわりがなくなっているのに、ホントに最後まででよく相談にのって頂きました。ケアマネさんの方ではなんてことない話でも、右往左往している側としては、天の助けに思えることも。ただただ、感謝のみです。

 母の転院の対応に手一杯で、父の方はヘルパーさんにお任せしっ放し状態だったのですが、母の転院を翌日に控えて、その父までが入院してしまうというアクシデントも。てんやわんやになりながらも、何とか期限までに転院することができました。

■個人営業の悲哀

 介護施設巡りの合間をぬって入院中の母の世話、といった毎日を繰り返せたのは、私の仕事が個人営業だったからこそ。収入減という副作用は強烈なものがありましたが、逆に勤め人だったとしたら会社に居場所がなくなっていたでしょう。そんな立場の私でさえ、配偶者の働きと、交代で病院に泊まってくれるなど、二人の子供達が全面的に協力してくれたことで、ようやく最後までやれたようなものです。

 とは言っても、当然良い面ばかりとは行きません。組織の助けが期待できない分、代えがきかない悲哀もしっかり味わいました。

 向うから転がり込んできた仕事(なおかつ断われないものに限って)を、かろうじてこなしているだけだんですが、父入院の際には、翌日母の転院があるため、明け方近くまで仕事で動けず、配偶者と娘は直ぐに病院へ走ってくれたものの、私の方は、母が転院先で落ち着くまで父の病室を覗く時間も取れないほどでした。

 さて、せっかく老健への入所が決まっていた母でしたが、空きが出るまで待つことなく、新しい病院へ移って一週間足らずで亡くなりました。

 病院側にも事情はあったにせよ、この時期での転院については、いまだに割り切れないものがあります。ただ、担当医の態度も含め、根本は介護の狭間を放置している国の制度の問題で、一病院に責を問うものではないとは考えていますが。

 巡り会わせで三夜に亘って通夜を営むことになり、断れる仕事や日程の動かせるものはこちらの勝手を聞いて頂けたものの、進行中でどうしても都合の付かない仕事も。そのため、子供達に後を任せて夕方自宅へ戻り、夜中の3時までかかって仕事を片付け、翌朝葬儀場にとんぼ返り、といった日も。

 極めつけは、葬儀当日。一旦中間まで仕上げて送った集計のデータに急な変更が発生、クライアントも発注元からの指示で、どうにも日程の調整ができず「何とかならないか」と葬儀前日に電話が入りました。流石にスタッフと打ち合わせる時間も取れず、さりとて親の葬儀の真っ最中に、仕事だからと私が抜けるわけにもいきません。ギリギリ葬儀翌日の朝まで待ってもらうことでOKを頂き、何とか葬儀を済ませて無事帰宅。ようやく落ち着いてPCの前に座れたときは既に夜の10時近くとなっていました。

 それから延々、明け方近くまでデータの修正に取組み、何とかデータを送ることができました。流石にこれは辛かった。


 とにもかくにも、今の老人介護の体制が大きな欠陥を抱えていることを身をもって体験。せっかくの経験がムダに終わらないよう、次回はポイントとなる点を私なりに整理してみたいと思います。後一回、我慢してお付き合いを。


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